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わたしは震災の夜、鍋島を飲んでいた。【友美の日本酒コラム009】おとついからの二日酔い

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北海道地震を体験して、人生観が変わった。いや、目が覚めたとでもいうんだろうか。台風21号によって帰れず飛行機を延期、一夜明けてその日の夕方帰るというところで地震が発生。続けざまに被災してしまった。

北海道へは帰省と仕事のための勉強を兼ねて行ったのだけど、旅の前、東京にいたわたしはなんとなく違和感に包まれていた。まるで自分の人生を誰かに任せているようでモヤモヤしていた。「なにか違う」と言いたいけれど、原因がわからず見過ごした。ヒトとの付き合いもみんな上手くいっているとは言い難かった。やみくもに忙しくし、考えないようにしていた。

それが一転。9月6日午前3時7分に起きた地震で街は恐怖に包まれ、その後の停電によって信号も消え、携帯電話の充電もロクにできないまま、不安な気持ちで過ごしていると、自分が誰を、なにを求めているのかがわかってきた。切羽詰まっているから、相手の言葉が真意なのかどうかくらいわかるものだ。あんなに頭を悩ませていたものが一瞬で、必要か不必要かの判断がつく。そういう異常事態だったのだ。もちろん東日本大震災、西日本豪雨や熊本地震など、「逆の立場だったとき、自分はどうだっただろう?」とわが身を振り返るキッカケにもなった。

 

 

それから、今まで気がつかなかった多くのことも学んだ。昔の建物は水タンクが上にあるから降ろしてくる形でよいが、近ごろのマンションは下から水を汲み上げるシステムになっているらしい。停電すればポンプがストップしてしまい、水は部屋まで運ばれてこない。ペットボトルに6リットルを給水してきて、必死の思いで担いで階段を上っても、トイレの大を流すのには水が約4リットル必要だ。一度ジャーっと流すとそのほとんどが消えてしまう。

停電時の「大丈夫?」というメッセージ。これが一番なにも生まないということも知った(あくまでも充電ができない境遇に置いて)。気にかけてくれているのだから「ありがとうございます。ご心配おかけしております。無事です。」と送らないと人としてダメだなぁなんて思える。しかし熊本地震のようにさらなる本震がくるかもわからず、十分な情報も得られず、水も電気も見通しもない。決して大丈夫ではないのだ。

 

それでも、亡くなった人もいるなかで、命に別条がないというだけで「大丈夫」と言う必要があるのかもしれない…そうだケガだってしていない、液状化もしていない、などとゴチャゴチャ考えてこんでしまう。返事をすればまたキャッチボールになり充電を減らすことになる。携帯電話はもはや大切なライフラインのひとつだということがよーくわかったが、そんななかでも、どうしても声が聴きたい相手、連絡をもらえれば励まされる相手、そしてそうでない相手がいることに気がつく。

携帯電話基地も停電しているため、繋がりにくく情報を集めることができなかったので、「必要なことがあったら調べて送るよ。」その言葉と働きにどれだけ助けられたかわからない。同じ被災した者同士だから必ずわかり合えるというものでもない。かえって苛立ちを覚えることさえあった。あたりまえだけど、誰もつらいと声に出すことができない。自分でも気づくことのできないストレスが、北海道に住むすべての人たちに重くのしかかってきた。

本サイトに寄稿したとおり、震災から4日経った9月10日、札幌市内の酒屋に被害状況を聞いて回った。そのなかで最も被害が大きかった「マルミ北栄商店」の若井社長は言った。

「震災後コンビニに行きました?おにぎり、パン、サンドイッチから惣菜や菓子にいたるまでみーんなないでしょう。残っているのはお酒だけなんですよ。緊急時、お酒は誰も必要としないんです。当たり前なんだけど、それを見て愕然としましたよ。」と力なく笑った。

停電の夜わたしたち家族は「冷蔵庫は止まったのだから生酒から飲んでしまおう」と、ロウソクの灯りで『鍋島 風ラベル』を飲んだ。まるで献杯をするようにそっと、「乾杯」と盃を合わせればホッとするやら、可笑しいやら。その夜、母と話したことは、今後の人生を左右するのだろう。美味しい酒(ここが重要)を酌み交わしているうち、夜はあっという間に過ぎた。「鍋島」を囲んだあの夜のことを、わたしはきっと生涯忘れないだろう。

仮にわたしたちが特殊な家族だとして、まぁ一般的には、たしかに震災直後は必要ないかもしれない。でも街灯も信号もなく、すれ違う人の顔も見えない暗闇を歩くのは危険すぎる。本が読めるわけでも、携帯で動画が観れるわけでもない。だから陽が沈むと「これから長い夜がはじまるんだ。」という不安とあきらめの気持ちがそこはかとなく湧いてくる。今後を憂う静かな夜はとてつもなく長い。この異常な緊張感に耐え続けられる人はどれだけいるだろうか。人間は脆い。何人かで身を寄せ合って、飲んじゃえばいいんじゃないかな。若井社長だって、愕然としながらも必死に店舗の回復に努め、震災の翌々日にはすでに営業を再開している。今日から北海道一大イベントのひとつ、オータムフェストも開催されている。万が一に備えながらも、早く北海道に明るさが戻ることを心より願っている。

 

 

このたびの平成30年北海道胆振東部地震により、お亡くなりになられたかたがたのご冥福を心からお祈りするとともに、被害に遭われた方たちに心からお見舞いを申しあげます。

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ライター プロフィール

日本酒ライター 友美

関友美

日本酒ライター/コラムニスト/唎酒師/フリーランス女将/蔵人
「とっておきの1本をみつける感動を多くの人に」という想いのもと、日本酒の魅力を発信するさまざまな活動をおこなっています。 全国の酒蔵を巡り取材をしWebや雑誌への記事執筆、カルチャースクールのセミナーや講演、酒蔵での酒づくり、各地の酒場での女将業など、場所と手段を超えて日本酒のおいしさと、地域文化の魅力を伝えています。北海道出身。東京と兵庫の二拠点生活中。
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