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酒造大手メーカーTOP3「月桂冠」(後編) なぜ今だったのか「月桂冠 中興の祖 大倉恒吉物語」公開の真意

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全3回でお届けする日本酒「月桂冠」(京都・伏見)の酒造り。第3回は、2017年12月1日に月桂冠公式サイトで公開された“一代で事業規模を100倍に拡大した”月桂冠11代目・大倉恒吉さんを題材にした「月桂冠 中興の祖 大倉恒吉物語」について、執筆した月桂冠総務部広報課長の田中伸治さんにお話を聞きました。

月桂冠 月桂冠中興の祖、大倉恒吉物語(画像提供:月桂冠)

月桂冠 月桂冠中興の祖、大倉恒吉物語(画像提供:月桂冠)

第1回
第2回

年間16万人以上が訪れる月桂冠大倉記念館

1637年に京都・伏見に創業してから現在の14代目・大倉治彦さんまで380年以上の歴史を持つ酒造大手メーカーの月桂冠。約25万石の日本酒を製造する4蔵だけでなく、月桂冠創業時からの京都・伏見の酒文化を伝える酒造用具類などを展示している「月桂冠大倉記念館」を構えています。

(画像提供:月桂冠)

(画像提供:月桂冠)

月桂冠大倉記念館は、予約制で施設内にある内蔵の酒造りを見学できることもあり、年間約16万人が訪れます。その3割がおよそ外国人観光客で、経営大学院生のジャパンツアー、在日外交官の日本文化研修、海外料理人が日本料理研修の一環としても訪れており、国内外で人気が高まる酒蔵ツーリズムを体現する場所です。そして、同施設では月桂冠中興の祖である11代目大倉恒吉さんに縁のある品々も展示されています。

予約制の内蔵見学では醪(もろみ)発酵の様子など酒造りの過程を見ることができます

予約制の内蔵見学では醪(もろみ)発酵の様子など酒造りの過程を見ることができます

仕込みから発酵の最中の様子

仕込みから発酵の最中の様子

事業規模を100倍にした11代目・大倉恒吉

月桂冠11代目・大倉恒吉さん。北蔵研究所にて、1912年、38歳(画像提供:月桂冠)

月桂冠11代目・大倉恒吉さん。北蔵研究所にて、1912年、38歳(画像提供:月桂冠)

洋式簿記第一号となる帳簿での正確な会計管理実現、当時最新の科学技術を導入した大倉酒造研究所(現在の月桂冠総合研究所)、日本酒業界初の「防腐剤無しの瓶詰め酒」商品化など、創造と革新で事業規模を100倍にした大倉恒吉さんは1874年1月28日に伏見の大倉家本宅で生まれました。

質素倹約を旨としながらも、当時の伏見で度々発生した水害では「炊き出し」を行うなど地域社会への助力を惜しまなかった厳格な父と優秀な兄を若くして亡くし、13歳で家業を継ぐことになった恒吉さん。通常、当主は帳場に座って帳簿管理など経営に専念して酒造りは杜氏や蔵人に任せるところ、母親のヱイ(えい)さんは恒吉さんを現場に入れることで徹底的に鍛えました。

大倉家本宅。1868年1月に勃発した「鳥羽伏見の戦い」で伏見の街にある酒蔵や住宅の多くが延焼するも、同宅は奇跡的に難を逃れ、現在までの月桂冠の継続に繋がっている

大倉家本宅。1868年1月に勃発した「鳥羽伏見の戦い」で伏見の街にある酒蔵や住宅の多くが延焼するも、同宅は奇跡的に難を逃れ、現在までの月桂冠の継続に繋がっている

恒吉さんは蔵人達と一緒に現場で働いて酒造りを学びながら、「自分はなにくそ、子供でも熱心にやれば、人の為すことをできぬということはない、石に噛じり付いてでも必ず成す」という強い意志で、苦労と失敗を繰り返しながらもまじめにコツコツとやりぬきました。その中で積み上げられた問題意識と向き合うことで、閃きが生まれて事業を花開かせることになります。

まじめにコツコツと問題意識に向き合ったことが創造と革新を生みだす

月桂冠に残る最古の「享保3年 勘定帳」

月桂冠に残る最古の「享保3年 勘定帳」

洋式帳簿

洋式帳簿

父が亡くなったことで苦境に立たされた事業の再興は、恒吉さんが相続して10年ほどを経て軌道に乗り始めます。江戸期から受け継いだ大倉家本宅のほかにも酒蔵の数を増やす中、経費の管理や投資を効率的に行うことが必要と考えた恒吉さんは、1894年から洋式帳簿で会計管理を開始。原価、製造・営業の各費用や利益を正確に計算できるようにしたことが後押しとなって、相続時の500石から5万石へと事業を100倍にするという急激な拡大を実現しました。

また、1905年に創業当時からの銘柄名「玉泉(たまのいずみ)」から、酒の王者を目指すという決意を込めてオリンピックの勝者に送られる「月桂冠」に変えます。恒吉さんは数々の閃きを生み出しましたが、その最たるものが「防腐剤無しの瓶詰め酒」です。明治時代半ばまでは樽詰めが主流で、酒造りに科学技術が導入されていなかったこともあって酒を腐らせる乳酸菌によって腐造が頻発していました。

科学技術導入の必要性を感じていた恒吉さんは、1909年に東京帝国大学卒の濱崎秀さんを初代技師として採用して研究所を創設。1911年には火入れと呼ぶ加熱殺菌を徹底して、日本酒業界初の「防腐剤無しの瓶詰め酒」の商品化に成功しました。晩年の恒吉さんは、伏見の街の病院や幼稚園建設への寄付、事業の再興に苦労していた時代に支援してくれた同業者が苦境に立たされれば援助するなど、社会貢献に取り組みました。その姿勢は、代々の当主にも受け継がれてきました。

「防腐剤入ラズ」とラベルに表示された瓶詰め酒の商品化。明治期から大正期の駅売り酒コップ付き小(画像提供:月桂冠)

「防腐剤入ラズ」とラベルに表示された瓶詰め酒の商品化。明治期から大正期の駅売り酒コップ付き小(画像提供:月桂冠)

大倉恒吉物語誕生の背景

「大倉恒吉手記」が掲載された「月桂冠 史料集」(画像提供:月桂冠)

「大倉恒吉手記」が掲載された「月桂冠 史料集」(画像提供:月桂冠)

恒吉さんが残した手記などは、これまで『月桂冠 史料集』でしか世に出ていませんでした。恒吉さんの物語を書いた田中さんは、「創造性と革新性に富んだ人物が先輩にいたことをずっと聞いていましたから、物語として広めることで日本の社会全体で創造を生み、活気をもたらすきっかけにもできるのではないかと思いました」と語ります。

便箋に鉛筆でしたためられた「大倉恒吉手記」(画像提供:月桂冠)

便箋に鉛筆でしたためられた「大倉恒吉手記」(画像提供:月桂冠)

実際に恒吉さんの人生を物語として顕在化することで、社員からも「こういうことだったのか」と理解が一層深まったという声があがっています。「元副社長の栗山一秀さん(91)が新入社員の時に11代目から『一番若いあんたに色々話しとくわ』と伝えられたことを私達にたびたび話してもらいました。それが11代目物語に繋がっています」(田中さん)。物語を形に残すことができた後に栗山さんからも「今となっては、11代目の謦咳(けいがい)に接したのは私ぐらいになってしもうたなぁ」と電話がかかってきたそうです。

物語は一般の方にも好評なようで、公式サイトを解析してみると、他のページに比べて恒吉さんの物語では滞在時間が伸びていて、とくに創造と革新に触れた第3章は一番滞在時間が長いとのことでした。

「普段の仕事で創造性を発揮すると聞いても、『そんな大それたことができるのか?』と多くの方が疑問に感じるかもしれません。しかし創造は一足飛びに生まれるのではなく、また何か固定された答えがあってそれを目指せばいいというものでもない、恒吉さんが苦労と失敗の中で問題解決に取り組んだように、一つ一つのコツコツとした営みが成功に至る道筋になるということを伝えたかった」と田中さんは語りました。

月桂冠大倉記念館では当時大ヒットしたコップ付小瓶の意匠を復刻した「レトロボトル吟醸酒」が試飲できます。1970年頃に好まれた味わいを再現。年月による好みの変化も体験できます

月桂冠大倉記念館では当時大ヒットしたコップ付小瓶の意匠を復刻した「レトロボトル吟醸酒」が試飲できます。1970年頃に好まれた味わいを再現。年月による好みの変化も体験できます

月桂冠大倉記念館では内蔵で造った搾りたての大吟醸生原酒が販売されています

月桂冠大倉記念館では内蔵で造った搾りたての大吟醸生原酒が販売されています

月桂冠

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ライター プロフィール

乃木章

乃木章

小説家/ライター/日本酒唎酒師/鶴ヶ島まちおこし委員会会長。
地元の酒屋さん「キングショップ誠屋」眞仁田社長との出会い日本酒を飲み始める。お酒は苦手だったのに、日本酒が好きになって以来、地元を中心に日本酒好きな人を増やそうと月1で日本酒イベントを開催している。
@Osefly

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