酒と鮨の千一夜 ~第一夜・佐渡の寒鰤と鍋島山田錦~
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あけましておめでとうございます。酒と鮨の千一夜第一夜は、正月に合わせて、出世魚の鰤「佐渡の寒鰤」でまいりたいと思います。食しましたのは、平成三十年十二月二十二日高松市「すし秀」にて、お酒は、この日の大将いち押しの「鍋島」山田錦純米吟醸三十六万石を合わせました。
兵庫県産山田錦を100%使用、心地よい香りは優しい南のフルーツを思わせ、お米の旨みがぐっと凝縮しながらも、のど越し爽やかな清涼感あるお酒に仕上がってます。
これこそが究極のバランスとでもいいましょうか?それほどレベルが高いお酒に仕上がってます。
さて、寒鰤。特に良物なのは、昔は越中鰤と呼ばれた冬の北陸周辺で獲れる本鰤(天然物)が有名です。十一月の終わりに佐渡、師走に氷見、能登、正月頃舞鶴に入る。二月は山陰、隠岐。これが、私のささやかな寒鰤カレンダーです。冬の日本海の寒鰤は脂の乗りが素晴らしい。その蕩ける味は一度覚えるとその季節はどうしても食べたくなります。
寒鰤を初めて食べたのは、1990年頃、平成二、三年頃だったと思います。年は三十歳手前で魚の旨さを知り始めた頃かと。
当時は仕事で高知に赴任しており、天然縞鯵、天然間八、など高知ならではの天然物を食べ漁っていました。私の生まれ育った香川県はハマチの養殖に世界で初めて成功したところで、私は、ハマチ、ブリのお刺身は養殖物しか知らず、ハマチ、ブリと言えば刺身でなく塩焼きか照焼で食べるものと自分の中で線引きしていました。
そんな頃、大学時代の友人で佐渡出身の本間さんから結婚披露宴の案内が届きました。大学時代に本間さんの案内で佐渡新潟へは行ってはいましたが、大学時代は食い物より景勝地を回ることを主眼とした旅でした。
結婚披露宴は勤労感謝の日あたりの3連休であったと思います。東京を経由して東京で関東一円の友人たち10名くらいで新潟へ入りました。新潟市内での披露宴も無事終わり、二次会ははカラオケのスナックでした。さあ、歌うぞっと、思った頃にお通しに魚の刺身が出てきました。内心、「おいおい、こっちは四国から来てるんやぞ、スナックの刺身なんぞ食えるか!」と正直思いました。まあ、披露宴では飲め飲めでほとんど食べてないから、しょうが無いから口にしました。それそれが、なんと美味かったことか。山葵も本山葵でした。幹事を務める方に「これは何ですか?」と尋ねると、「佐渡の寒鰤です。東京や四国から舌の肥えた方々が来られるとのことで、特に四国から来られる方は魚には特にうるさいとお聞きしました。そこで魚屋さんに頼んで、朝、市場で佐渡の寒鰤を一本仕入れてもらいました。」
私「・・・」魚の旨さにも新郎と友人たちの心意気にも感動でした。それからは日本海の寒鰤の虜となりました。
今冬は、初めて、鮨で寒鰤を味わいました。脂が乗りすぎると鮨にはどうかと思いましたが、そこは鮨職人の見立て、経験、技で素晴らしいバランスでした。
おしまいのページで・・・
寒い冬の日本海で上がった佐渡の寒鰤だが、その軽やかに脂の乗った鮨に仕上がり、そこに九州佐賀の芳醇なフルーティで切れのある鍋島。もう舌と頭の中は夏の島へトリップしたようでした。そう大学時代に訪れた夏の佐渡。巨岩、奇岩が多く日本とは思えない海岸線をドライブした、若き夏の日々を思い出しました。
大野亀、二つ亀1983年当時の写真と佐渡観光パンフレットのも添付しておきます。