酒と鮨の千一夜 ~第七夜・加賀梶木鮪で「常きげん」@石川小松・鮨 田がみ~
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1972年昭和47年夏以来石川県を訪れた。当時は小学4年生だったので、兼六園、山代温泉、能登金剛巌門など観光地は覚えているが、食べたものはまったく覚えていない。50を過ぎた今、楽しみはなんと言ってもお酒と食べ物になる。書けば長くなるので、諸般の事情は割愛するが、三月十七日に小松市の「鮨 田がみ」を訪問する機会に恵まれた。
店主、田上堤司氏は、小松弥助のお弟子さんと聞くが、私は小松弥助を知らないので、「鮨 田がみ」そのものを楽しみにしての訪問である。もちろん、そんな余計な話はしていない(笑)
田上氏は冗談も含め、とても優しい物腰で、初めての方も安心してカウンターにつくことができる。
さて、日本酒は「常きげん」一種のみ。親方曰く、
「鮨のじゃまをしない、それでいて旨い酒」ということである。私は初めてのお酒となる。
突出しの槍烏賊の他は握りのみ、怒涛の十二貫であった。
中トロ、バイ貝、くえ、連子鯛、甘海老、さより、鮃、鮃縁側、槍烏賊、赤貝紐、赤身、の十一貫を食べ終えて、一応終わりであったが、おそらく、夜の部ために仕込んでいたのであろう一貫、
「カジキマグロです。」とおもむろに出されたオレンジ色のトロ。目を閉じて食すとそれは本マグロのトロと変わらぬ美味さ。今回はその一品、正式名称「マカジキ」と「常きげん」について酒と鮨の千一夜、第七夜といたします。
常きげん 鹿野酒造
歴史浪漫を感じさせる地で、伝統を重ね続ける鹿野酒造。
「八重菊や 酒もほどよし 常きげん」<鹿野酒造4代目の一句>
造り酒屋と呼ばれる蔵は、それこそ全国に数え切れないくらいにあり、それぞれにその地ならではの物語とともに親しまれる地酒を造り続けています。鹿野酒造もまた、ここ霊峰白山を望む加賀の地で、文政2年(1819年)に創業。代々地主として、地域の経済はもちろん文化を見守り続けてきた歴史は、そのまま酒造りの歴史とも重なります。
ここ加賀市八日市あたりの歴史をさらにさかのぼるなら、平安時代の終わりごろから室町時代の中ごろにかけて、七つの荘園があり豊穣の地であったことをうかがわせます。とくに、現在の鹿野酒造のあるあたりは、当時「額田の庄」と呼ばれていたと伝えられていて、はるかな歴史浪漫を感じさせずにはおきません。
そんな文化的な土壌が根付いた地だからなのでしょうか、鹿野酒造代々の当主もまた粋人であったことがうかがえます。「常きげん」という名も、ある年の大豊作を村人たちと祝う席で、4代目当主が「八重菊や酒もほどよし常きげん」と一句詠んだことにちなんだものです。
白水の井戸 これからもずっと、蓮如上人に由来する「白水の井戸」を大切に守り続けるのはもちろん、「白水の井戸」があればこそ醸し出せる「常きげん」らしさにこだわり、この浪漫あふれる地で伝統を重ね続けていきたいと願っています。
「白水の井戸」の佇まいもまた、「田園酒蔵 」の名にふさわしいものです。
最初に言い出したのは誰なのか定かではないのですが、私たち「鹿野酒造」はまた、ときに「田園酒蔵」と呼ばれることもあります。
それは私たちの酒蔵が、加賀の田園風景にとけこんで建っていることももちろんですし、田んぼの真ん中にある「白水の井戸」との深い関わりもまた、田園酒蔵の名にふさわしいものとして映るのではないかと思っています。
古来より、蓮如上人ゆかりの井戸として、飲み水としてはもちろん、広く生活水として親しまれてきた「白水の井戸」。昭和に入って30年ばかりは途絶えていたのですが、平成11年(1999年)に、この井戸を再興し仕込み水として使いはじめました。
ときを同じくして、八日市町もまた、この井戸のまわりを「自然園・白水の泉」として整備。昔ながらの田園風景が、新たな彩りを得てひろく親しまれています。
白水の井戸水は軟水で、酒の仕込みに使っているほか、お茶やコーヒー用にくみに来る人も少なくありません。
酒米へのこだわりを、肌で感じて続けていたくて…
醸造好適米として、「山田錦」という名をご存知の方も多いのではないでしょうか。この「山田錦」ですが地方の小さな酒蔵としては、なかなか手に入らなかった時代もありました。それならということで、自分たちの田んぼで作り始めたのです
「白水の井戸」から湧き出る霊峰白山からの伏流水を引き、恵みあふれる加賀平野の田んぼで育てる山田錦。もちろん、すべてのお米を自分のところで栽培できるだけの広さはないのですが、ほんのわずかでも山田錦の自社栽培を、これからもずっと続けていきたいと考えています。
それは、この加賀の地の酒蔵として、この加賀の地のお米への思いを、決して忘れたくはないというこだわりのあらわれです。そう、酒米作りを知っている酒蔵としての心意気みたいなものもまた、きっと「常きげん」の美味にはなくてはならないものなのですから…
以上、鹿野酒造HPより出展
まかじき
「まぐろ」の仲間ではありませんが、
「まぐろ」に匹敵する味の良さ。
「かじきまぐろ」とも呼ばれますが、「まぐろ」の仲間ではありません。口先が槍のように長く伸びているのが特徴。体長4mにもなります。漢字で書くと「梶木」「舵木」。これは「梶木通し」「舵木通し」の略とされ、舵をとる木や船の底になる木(梶木)をも貫く角を持っている魚という意味です。かじき類はマカジキ科とメカジキ科に分かれますが、「めかじき」の「め」は「女」の意味です。関東ではまかじきを「男かじき(おかじき)」というのに対して、体つきが女性的なことから「女かじき(めかじき)」といいます。「まかじき」の「ま」は、カジキ類の代表的なもの、または一番味の良いものという意味です。
「かじき」として店頭に並ぶもののほとんどが「めかじき」です。生、冷凍切り身、漬け魚、その他の加工品など、販売形態も多様です。切り身にはしばしば、「トロ」「中トロ」「大トロ」などの表示が見られることも。また総菜コーナーや総菜店でも、煮つけ、照焼など定番的なものとなっています。切り身は黄色味を帯びたごく薄いピンク色です。旬は秋から冬。
「まかじき」は、高級料亭などで食され、一般の鮮魚店に並ぶことはほとんどない希少な魚です。昔は冠婚葬祭の席に並ぶ刺身といえば、「まぐろ」ではなく「まかじき」が中心でした。あっさりとして風味豊かな味わいは、「まぐろ」にも匹敵するといわれます。切り身はオレンジがかった赤色。旬は冬から春。
「まかじき」は、外洋をエサとなる魚を追いかけて遊泳している4mを超える巨大な魚だ。よく「カジキマグロ」などと呼ばれることがあるが、マグロとは縁もゆかりもありません。
古く関東では赤身の刺身では、もっとも人気の高い魚だったようです。特に冬に千葉県などで行われている突きん棒漁で上がったものは人気があって高級料亭などで出されていました。これがいつの間にか、関東での赤身はマグロ族に取って代わられてしまいました。
本種をもっとも好むのは北陸金沢市周辺です。当地では「さわら」と呼び、標準和名のサワラを「やなぎ」というそうです。国内でももっともいいマカジキは金沢に行く、などと言われるほどです。
このマカジキのトロの部分を金沢では「さわら(狭腹)のそで」といって珍重されてます。
マグロのトロの部分ですね。
おさかなセールスポイント
高たんぱく、低脂肪な健康にも嬉しい魚です!
女性に嬉しいビタミンD・Eが豊富な魚!
カリウムが豊富。カリウムは、血圧を上昇させるナトリウムを体外に排出することにより血圧を下げる働きをします。ビタミンでは、カルシウムの吸収率を高めるビタミンD、抗酸化作用があり細胞の老化やがん化を防ぐといわれるビタミンEなどを多く含みます。また、血液を固まりにくくして心臓病や脳血管病を予防したり、脳や神経細胞の働きを活発にするといわれるDHAなどの不飽和脂肪酸も多く含みます。
出展:大阪市中央卸売市場HP、ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑
おしまいのページで・・・
今回の石川県小松市行については、甥っ子が暮らす町と言うことが、選択した一番大きい理由であった。小松と言えば、空港があるくらいにしか、思ってなかったが、中々の名所があった。宿泊した粟津温泉・法師、安宅の関は歴史を感じ、自動車博物館と駅前のコマツの巨大ダンプカーは圧巻であった。
宿泊した法師は創業1300年と言う世界最古のホテルとして、ギネスブックに登録されたこともあったらしい。と言うことは、義経一行が安宅の関を通過して奥州平泉に逃げ延びたのは、1187年ころ。もうこちらの法師は営業していたことになる。
大浴場露天風呂に身をゆだね、遠く空を見上げれば、あの武蔵坊弁慶が偽物の勧進帳を読み上げるくらいなら、「あ~法師の風呂に浸かりてぇ~」と心の中で叫んでいたのではなかろうかと、法師の湯に心地良くのぼせ上がりそうになる(笑)
また、苔むした歴史を感じる中庭に身を置けば、弁慶と富樫が一献交わしたのは、この庭であったのではなかろうかと思ってしまう。
おしまいのページは、粟津温泉・法師のお写真でお別れです。
この年、この月、この日
「生涯中この一回の他にはあらず」