酒と鮨の千一夜・第十九夜〜開運を巡る縁起鮨七貫〜
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あけましておめでとうございます。と、本来は松の内にお披露目の予定でしたが、年末年始は飲みすぎ食べすぎました(笑)そして、休み明けは働きました。王様のように食べて飲んで、大統領のように働きました・・・と言うことにしておいてください(笑)そんな訳で、少々季節は過ぎましたが、お正月の酒は開運(静岡県掛川)鮨は縁起物七貫で令和二年、2020年の「酒と鮨の千一夜」、幕明けといたします。では、第十九夜ご覧ください。
1、酒・開運(静岡県掛川)
土井酒造場
以下、蔵元HPより抜粋
静岡吟醸という言葉が生まれる礎を築いた酒蔵のひとつ土井酒造場。蔵元である土井社長と、能登杜氏四天王のひとりに数えられる波瀬杜氏による二人三脚で、全国にその名を知られていく。
開運 無濾過純米(冬春季限定)
生酒 純米酒
米・山田錦
酵母・静岡酵母
精米歩合・55%
新酒の季節。しぼりたての「開運 無濾過純米」の出荷を、毎年楽しみにしてくれているファンが大勢いる。もちろん私もその一人。かすかに炭酸を含んだピチピチの酒質は、まさに新酒を飲む楽しさを教えてくれます。
無濾過ならではの濃厚なうま味と若々しいフレッシュ感と透明感、まさにこの時期にしか楽しめない正月から春の季節のお酒です。
2、正月の縁起鮨七貫
上段左端
①開運・無濾過純米
上段真ん中
②鯛(真鯛)讃岐高松
・縁起物の定番でめでたい!
お祝いに供される鯛のことを「鯛のおかしらつき」と呼ばれるのを良く耳にしますが、この「おかしら」を「お頭」と思われている方が多いのではないでしょうか。実はこの「おかしら」は「尾頭」が正解なのです。つまり頭から尾までそろっているという意味ですね。簡単には手に入らない鯛が一部分ではなく丸々一匹というのは、昔は最高の贅沢だったのです。まして鯛のお造りなんて将軍様でもめったに食せない究極のグルメ。
現代の私たちが恵まれていることを実感します。まして、瀬戸内に住む我々は世界一美味い鯛を食べれる幸せに浸ります。
・体がおめでたい「赤色」
ご存知の通り紅白は縁起物として使われる色で、この感覚は世界的にも同じようです。
生命力がある色、悪除け、魔除けとしても使われる色ですから食卓にあがるだけで縁起がいいですよね
上段右端
③車海老・讃岐高松
海老は海老の赤色が生命力を表わす!
「海老」とは、腰が曲がったお年寄りを表し、長寿を願う縁起物です。
中段左端
④ふく・讃岐高松
河豚=ふく
現在では主に山口県下関~九州北部での呼び名となっていますが、平安時代の書物に「布久(ふく)」という記述もあり、昔からふぐのことを「ふく」と呼ぶ文化があったようです。
これも「福」という発音から縁起物の魚として大事にされています。
中段真ん中
⑤鮪赤身・北海道津軽海峡
まぐろは特に縁起物、出世魚と言うわけではありませんが、その華やかさから、正月には欠かせない魚となりました。
中段右端
⑥佐渡の寒鰤
鰤(ぶり) 成長するに従って名前が変化する出世魚!
我々の地域はツバス→ハマチ→ブリと名前を変えます。
その歴史は室町時代に入ると文献等にもブリやハマチの記述が見られるようになります。室町幕府や織田信長へ能登からブリが献上されたという記録が残っていますから、1500年前後にはブリが縁起の良い魚として扱われていたと考えられます。初代加賀藩主である前田利家も年取り魚としてお歳暮にブリを贈っていたと言われていますし、1595年には前田利家が京都伏見に氷見灘浦のブリ17本を送るよう支持した「塩鰤上納申付け状」というものもあります。
現在でも北陸地方では結婚した年に“夫が出世するように・嫁振りが良いように”と願って娘の嫁ぎ先にブリを送り、婚家からはその半身を送り返す「歳暮ブリ」の風習が若干残っています。山陰などでは逆に嫁の実家に“嫁ぶりが良い”ことを表すためにブリを贈るようです。また信州でも年越しにブリを食べる習慣があり、ブリと白米を食べないと年を取れないと言われていたほどだとか。富山で水揚げされたブリが飛騨高山に運ばれ、“飛騨ぶり”と名を変え信州まで輸送されていました。信州へ至るまでの輸送経路は総称して「鰤街道(越中ブリの道)」と呼ばれています。江戸時代、この道筋はブリだけではなく物や情報を運ぶ道としても重要だったと考えられています。
ただし江戸では脂っこい魚が好まれなかったこともあり、江戸中期の『黒白精味集』による魚の格付けでマグロやフグ・ドジョウなどと並んでブリも“下魚”とされています。対して大阪では17世紀後半に活躍した井原西鶴の著作には正月の祝い魚として“塩ブリ”が登場していますし、この頃には町人たちの間でもお正月にブリという考えが定着していたと考えられています。
三段目左端
⑦戻り鰹・三陸気仙沼
鰹(かつお) 「勝男」にちなんで縁起を担ぐ!
縁起物とは関係ない美味い話ですが、初鰹は土佐高知。戻り鰹は三陸気仙沼。これは間違いない。
三段目真ん中
⑧数の子・北方四島海域
数の子は子孫繁栄を願うシンボルとなっています。
「二親(ふたおや)」と書いて「にしん」と読ませることができ、また、卵は無数といってよいほどの数から「たくさんの子供に恵まれますように」「子々孫々、栄えるように」との願いが込められています。
正月の御挨拶が立春の御挨拶となりましたが、本年もよろしくお願いいたします。
おしまいのページで・・・
前回は十八夜と言うことで、18はプロ野球のエースナンバー。そこで、私の持つ昭和48年頃のカルビー野球カードからエースを5人ご紹介いたしました。今回は第十九夜。19番と言えば、私は南海ホークスの現役時代の野村克也を一番に思い出します。私が今日、ソフトバンクホークスを応援し、福岡ダイエーホークスのジャンパーを20年以上着用しているのは、昭和39年発売の「小学館小学六年生」を昭和45年頃、小学校2年生当時に読んだとき、プロ野球選手が3人写真が載っておりました。うち二人は、長嶋と王。それは誰でもわかる二人。後一人が野村克也。はたたして誰だろうと(笑)そこで、調べに調べて、三冠王野村克也、南海ホークスの看板スターであることを知りました。それ以来の南海ホークスファンとなりました。昨年は日本シリーズで巨人に勝ちましたが、ペナントレースでは西武ライオンズに2年連続後塵を拝しています。ペナントレースを制して、巨人に勝ってこそが真の日本一と信じ、今年もホークスを応援いたします。