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酒と鮨の千一夜・第二十六夜 〜イカの王様・呼子の烏賊 &蛍の里の銘酒・七田〜

掲載

私は丸亀港にほど近いところに住んでおり、その港に面するように店を構えるのが新世丸亀本店(みなと新世)だ。生け簀に瀬戸内海の新鮮な魚介が多数泳ぐ。その季節の旬の魚介を活造りと鮨にして日本酒と合わせ楽しんでいる。そのみなと新世に夏から初秋にかけて呼子のイカが水揚げされてそのまま直送で生け簀付のトラックで運ばれてくる。玄界灘から生きたまま届けられるのだ。
「呼子の烏賊」その種類については、以前、博多の中洲で呼子の烏賊の活き造りを食べた時に「ヤリイカ」と聞いた。だが、標準和名は「ケンサキイカ」とのことだった。
そんな若き日の博多の旅を思い出しながら、立板、合田くんに
「このイカはケンサキイカかな?」と聞くと
「そうなんですよ。ケンサキイカです。でも時々ヤリイカがまじっています」
私「えっ???」
そんなわけで今回は「呼子の烏賊」について考察し見識を深めてみたい。
昨年の夏は3回、今夏は6回食べた。合わせたお酒は、同じ佐賀県の銘酒、天山酒造の「七田・無濾過 純米吟醸」佐賀特有のフルーティーな甘みを堪能した。

1、酒・「七田」無濾過純米吟醸

今回は佐賀県小城郡で1861(文久元)年創業の天山酒造が醸す「七田」です。蔵のそばを流れる祇園川を使って水車業を始めたのが発祥です。
酒造業を始めたのは1875(明治8)年のこと。七田家は建築にも造詣が深く、天山酒造二代目蔵元が造った「明治蔵」「大正蔵」「昭和蔵」及び「竪型水車」とその水路は国の有形文化財に指定されていて、今でも現役で使用されています。

仕込み水は当然のごとく祇園川の伏流水です。ゲンジボタルの名所ということで、水のキレイさが想像されます。その仕込み水と佐賀の酒米で醸しています。
その天山酒造が全国に発信しているのが「七田」です。すべて純米酒です。

☆「七田・無濾過純米吟醸」
スペック
日本酒/純米吟醸/無濾過
◎醸造元
天山酒造株式会社(佐賀県小城市)
◎原料米
佐賀県産「山田錦」「さがの華」 精米歩合55%
◎香り
華やか
◎味わい
コクのある旨口
◎お勧めの飲み方
冷酒・常温
◎日本酒度
+4.0
◎酸度
1.5
◎ALC度数
17%
◎商品説明
佐賀県の地酒「天山」の限定ブランド「七田 純米吟醸」は、甘く優しい蒸したての米を想像できる上品で華やかな香りと濃厚な旨味を持ったお酒です。
無濾過原酒なのでアルコールがやや高めでしっかりした飲み応えがあります。

☆さがの華
さがの華とは、若水と山田錦を交配させて誕生した佐賀県オリジナルの酒造好適米です。
佐賀県では、耐倒伏性の低い山田錦と酒造適性の低い西海134号に取って代わる品種の酒米を目標にし、日夜開発に取り組んでいました。そして、遂に山田錦よりも耐倒伏性が高く、粒のサイズが大きくて心白の発現率の高いさがの華という種類の酒米が完成したのです。しかし、さがの華は心白が大きいため高精白の際、割れてしまう場合があります。
◎若水
酒造好適米の品種のひとつ。愛知51号。愛知県農業総合試験場作物研究所で1972年に育成、1985年に品種登録された。あ系酒101と五百万石の交配種。

2、鮨「呼子の烏賊」剣先イカ(夏イカ)

一段目左 生簀で泳ぐ「呼子の烏賊」ケンサキイカ・ゴトウイカ型
一段目右 ケンサキイカ・耳の鮨
二段目左 ケンサキイカ・生下足の鮨
二段目右 ケンサキイカ・身の鮨
三段目左 ケンサキイカ・下足炙りの鮨
三段目右 ケンサキイカ・握り鮨盛合せ
四段目左 生簀で泳ぐ「呼子の烏賊」ケンサキイカ・ゴトウイカ型
四段目右 ケンサキイカの活造り
波の荒い玄界灘は、日本有数のケンサキイカの漁場です。
一般的に全国で食べられているイカは複数の種類があります。呼子のイカと呼ばれているものは、夏場はヤリイカです。
ただし、呼子のイカとされるヤリイカは、標準和名ケンサキイカ。
呼子では1年中「イカの活造り」を食べることができます。「イカの王様」と呼ばれ、抜群の透明感や食感と甘みで人気なのがケンサキイカ(地方名、ヤリイカ)で5月~11月頃が旬。甘みがあり身が厚いアオリイカ(地方名、ミズイカ)の旬は11月~3月頃。笹のように細長く身が薄いヤリイカ(地方名、ササイカ)は強い甘みと短い下足が特徴で12月~2月頃が旬。

ケンサキイカはスルメイカやヤリイカよりも温暖な海域を好み、日本列島の暖流の影響の強い沿岸域からインド洋-西太平洋に広く分布する。近年国内では北上傾向にあり、東北太平洋側でもとれている。
小型のメヒカリイカ型、中型で山陰に見られるブドウイカ型、大型になるゴトウイカ型の3型がある。また熱帯域にかけてヒラケンサキイカが生息するが同定はとても難しいらしい。
関東では「赤いか」、山陰などでは「白いか」と呼ばれているが、3型に対する様々な呼び名があって複雑だ。
関東でもとれるが主産地は山陰から九州北部。長崎県から島根県にかけて作られる「一番するめ」は本種で作られている。
ヤリイカ、アオリイカとともに高級イカで、関東ではスーパーなどに並ぶことはまずない。主にデパートや高級魚店、料理店、すし店などで出合うものだ。 甘味が強いのが特徴。

◎呼子の烏賊、剣先烏賊決着編
結論として、夏の「呼子の烏賊」は地元の呼び名は「ヤリイカ」、正式には「剣先イカ、ゴトウイカ型」と言うことになる。関東では赤イカ。丸亀、新世で食べているのはこの型になる。そして、時々、本物の槍烏賊が混じる。
夏の終わりから山陰で旬を迎えるのは、白イカ、正式名称は「剣先イカ、ブドウイカ型」
瀬戸内海に生息する小型の剣先イカが、「剣先イカ、メヒカリイカ型」になる。それぞれに味わい良さがある。食べるごとにその時のものが「烏賊の王様」それでいいじゃないか(笑)

おしまいのページで・・・

二十六夜と言うことで、26と言う数字で思いつくは、元読売巨人軍投手西本聖の背番号26を思い浮かべるが、やっぱりあの時代は江川卓の時代だと思うので、却下した。(西本さんごめんなさい笑)
そこで、私が26才のとき、1988年にスポットあててみた。
「南海ホークス身売り、福岡へ大阪球場最終戦、門田博光涙のお別れ」これしかない。

2020年は「コロナ渦」と言う未曾有の混乱に襲われている。
プロ野球も開幕も遅れ、無観客試合を経て、現在5000人以下の観客で試合が行われている。
その試合の観客席の様子を見て、昭和の時代のパ・リーグの試合を思い出せれたご同輩は多いと思う。
私も昭和50年代後半を東京で大学生生活を送った。後楽園球場へは日ハムVS南海ホークスの試合をよく見に行った。観客は5000人以下だったと思う。ガラガラ、ジャンボスタンド(二階席)俺一人みたいな(笑)
最後に金田正一さんご逝去にあたり、元南海ホークス門田博光氏が贈った言葉を添えて第二十六夜おしまいのページで、の〆としたい。
金田正一氏がロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)の監督を務めたのは、1973年から78年までの6年と、1990年から91年の2年の計8年間。突然の訃報にふれ、監督としての金田氏を思い出した方も多くいるに違いない。かつて南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)の主砲として活躍した門田博光もそのひとりだ。

門田は金田氏の現役引退の翌年にプロ入りしたため、選手として直接対戦したことはないが、監督と選手という立場で戦うことになる。

「僕がプロ入りして少し経ってから金田さんがロッテに監督として来たんですよ。それは大ニュースでしたね。金田さんは現役の最後は”Gマーク(巨人)”をつけて400勝を達成されて。そんな野球界のトップに立った人がロッテの監督になるって言うんやからね。『ほんまに来るんか?』って、みんな思っていました。
 僕らが若かった頃のパ・リーグは、いろんな意味でどん底やった。球場はいつもガラガラで、待遇面でもプロ野球とは思えないものがあったし、注目度も低かった。パ・リーグのトリプルクラウン(三冠王)とセ・リーグのワンキング(一冠)が並べて語られるような時代やったから。すべてがGマーク中心に回っていた。選手もみんなGマークにしがみついていたなか、金田さんはロッテに来た。重光武雄オーナーから『ロッテを盛り上げてほしい、パ・リーグを盛り上げてほしい』と熱心な誘いがあったからやと思うけど、金田さんの登場でパ・リーグに火がついたところがあった」
当時のパ・リーグを振り返ると、1972年オフに西鉄ライオンズが太平洋クラブライオンズに、1973年には東映フライヤーズが日拓ホームフライヤーズとなった激動の時代。球団経営の厳しさは想像に難くないが、そこへ大きな注目を集めて登場したのが金田氏だった。

「金田さんが来て、暗く重かったパ・リーグの球場が、どこもパッときれいな花が咲いたみたいに明るくなった。試合になったら三塁コーチャーに立って、スタンドのファンにもモノを言いながら巻き込んで……『球場がワシの舞台や!』と言わんばかりに、賑やかにやっていましたからね。たまに元気のない時はこっちのベンチから『どないしたんやー、二日酔いか?』ってヤジを飛ばしてね。そしたら『なに言うとるんや!』って、そこからいつも以上に元気になる。今はパ・リーグもお客さんがいっぱい入って活気があるけど、ここにつながる流れをつくったのは金田さんやないかな」

 当時の南海は、野村克也氏がプレーイングマネージャーとしてチームを率いていた。「パフォーマンス系は好まなかったのでは?」と聞くと、門田は「いやいや」と否定した。

「とにかく当時は、パ・リーグでやっている者はなんとかリーグを盛り上げたい、お客さんに来てほしいと思ってやっていましたからね。ノムさん(野村克也氏)も金田さんどうこうというのは、一切なかったですよ」

金田正一さんがロッテの監督になった1973年昭和48年。その頃のパ・リーグの観客者数は何の制限もなく5000人以下は当り前だった。

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ライター プロフィール

日本酒ライター 髙松 巖

髙松 巖

香川県丸亀市で日本酒メインのダイニングバー「星の川」をやってます。こちらでは、季節感溢れる日本酒の魅力をお伝えできたらと思います。よろしくお願いいたします。