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青森県の日本酒蔵一覧

六花酒造

代表銘柄:六花 じょっぱり 一洋 白梅 白藤 昭和47年(1972年)3月に、弘前の造り酒屋3社が合併して誕生しました。創業は、享保4年(1719年)まで遡ります。 六花酒造が造る日本酒の代表銘柄は「じょっぱり」。津軽の方言で「頑固者」や「意地っ

吉井酒造

代表銘柄:吉野桜

盛田庄兵衛

代表銘柄:駒泉 作田 雪中八甲田 ひと味ちがういい酒だといわれるような香味を駒泉の酒に表現するというのが毎年の酒造りのテーマです。 確かないい酒を伝えるために今年もまた新たに挑戦し続けます。

桃川

代表銘柄:桃川 ねぶた 杉玉 桃川の発祥は江戸時代 で、本格的に酒造を開始したのは、明治22年のこと。 創業当時、百石川(奥入瀬川の地元での通称)の水を使用していたことから「百(もも)」を果物の「桃(もも)」 に代えて「桃川(もも

三浦酒造

代表銘柄:豊盃 モヒカン娘 三浦酒造の創業は昭和初期。年間生産量400石という家族中心の小さな蔵ですが、父である三浦慧社長の指揮の下、若き5代目となる三浦兄弟が杜氏として先頭に立って仕込みに入り、岩木山・赤倉山系の伏流水と契約栽

丸竹酒造店

代表銘柄:菊水 白神の郷 白神ロマンの宴 丸竹酒造店は丸竹の家号で世界遺産に指定された白神山地の表玄関口で1686年(貞亨4年)の創業で津軽藩4代目津軽信政公の時代に当地国吉で藩御用商人又庄屋で造り酒屋を営んでいた。四方山々に囲まれ右手に岩木

鳩正宗

代表銘柄:鳩正宗 八甲田おろし 佐藤企 創業当時は、当地を流れる稲生川に因んだ「稲生正宗」の銘柄で親しま れていましたが、昭和初期のある日、一羽の白鳩が蔵に舞い込み神棚に 住みつきました。 当主の先々代は神への信心が篤く、この鳩を家の守り神

如空 八戸酒類

代表銘柄:如空 八鶴 蔵物語 なだらかな丘隆地と奥州街道の宿駅として 名高い五戸町の一角にある 如空蔵の酒造りは、清冽な五戸川と底をひとつにした 蔵井戸の湧き水を汲み上げ、清澄な大気の中で醸した地酒です。

鳴海醸造店

代表銘柄:菊乃井 稲村屋文四郎 こみせ 津軽の吟 津軽三味線 賜 あずまし 津軽・黒石は、幕末まで近隣で最大の醸造高を誇った酒どころ。その伝統をいまに伝える鳴海醸造店は、地元では「菊乃井」の名で知られる老舗の造り酒屋。

中村亀吉

代表銘柄:津軽娘 玉垂 ねぶた囃子 当蔵は創業大正2年。酒名の「玉垂(たまだれ)」は明治維新の英傑勝海舟と親交のあった弘前市の本行寺(ほんぎょうじ)の嘗ての住職日熙上人(にちきしょうにん)が、洞窟の中で座禅を組み修行に励んでいた際に、し

竹浪酒造店

代表銘柄:岩木正宗 創業は正保年間(1644~1648年江戸中期)頃と、「津軽古今偉業記」に記されています。「岩木正宗」の銘柄は津軽富士「岩木山」の伏流水で酒を仕込んだことに因んでつけられました。現在は純米酒を中心に酒造

関乃井酒造

代表銘柄:関乃井 北勇 明治24年創業 創業以来.地元の人々に愛される、本当の地酒造りを目指してまいりました。それゆえに弊社製品は、下北半島以外にはほとんど出荷されていない、陸奥の隠れた逸品です。

白神酒造

代表銘柄:白神 『自然遺産、白神山地=「自然」=清酒』をコンセプトに観光客や地元の人達とともに、常に自然と食文化をテーマに接触していきながら、お客様に悦ばれる新製品の開発をモットーに努力しています。

佐藤酒造店 青森

代表銘柄:掬水 卍 青森県中津軽郡岩木町の株式会社佐藤酒造店です。 津軽の銘酒「菊水」をはじめ数多くの日本酒を地元のショップや旅館で提供しています。 日本酒の中でも珍しい古酒も存在しており、全国に通信販売もしています。

齋藤酒造

代表銘柄:松緑 六根 麗峰 当蔵は、桜と弘前城で有名な弘前市の城西に位置しております。創業は明治37年10月1日となっておりますが、それ以前は江戸末期の頃より、家伝の秘法による酒母を造って津軽一円の酒造家に販売していました。しか

寿酒造

代表銘柄:寿正宗

鳩正宗

代表銘柄:鳩正宗 八甲田おろし 佐藤企 創業当時は、当地を流れる稲生川に因んだ「稲生正宗」の銘柄で親しまれていましたが、昭和初期のある日、一羽の白鳩が蔵に舞い込み神棚に住みつきました。 当主の先々代は神への信心が篤く、この鳩を家の守り神とし

菊駒酒造

代表銘柄:菊駒

八鶴 八戸酒類

代表銘柄:八鶴 如空(じょくう) 八鶴は創業が江戸時代後期、天明6年(1786年)11代将軍徳川家斉(いえなり)の時代。 もともとは呉服商で身をたてていた初代橋本八右衛門(はちうえもん)が、酒屋を買い取って酒造りをはじめましたが商売っ

じょんから カネタ玉田酒造店

代表銘柄:津軽じょんから 華一風 蔵人 玉川 当蔵は宝暦年間時の勘定奉行、乳井貢が藩財政立て直しのため商人から金銭調達をしており、宝暦元年(1751年)の文書に玉田酒造店の名があることから、それ以前の創業と思われる。お寺の文献では創立277年にな